2011年7月25日月曜日

NHKのETV特集『鯨の町に生きる』を見た。

 NHKのETV特集『鯨の町に生きる』を見た。
 クジラ漁、イルカ漁で揺れる太地町を取材したドキュメンタリーだった。
 捕鯨に関する主張については新しく知る事実、意見は特に無く、シー・シェパード側の言い分もほとんど無かった。日本人と外国人のステレオタイプな対立の図式が色濃く出ていた。
 大地町の平均年収は200万円ほどで、クジラ漁師たちの平均月収は350万円ほど。
 先祖代々、クジラ漁で生計を建ててきた人が多く、苗字にもクジラ漁での役割分担の名残が色濃く残っている。
 31歳と32歳のクジラ漁に従事する兄弟が紹介されていた。爺さん、親父とクジラ漁をやっていて、それしか観ていなかったから自分も自然にそうなるものだと思っていたと話していた。
番組の中で死にゆくクジラの眼を見るのが耐えられずにクジラ漁師をやめた人の話が出てきたが、クジラ漁ではない漁師では年収は半分ほどになってしまい、また、クジラ漁に戻っていったという。
 そうした中で、クジラ漁師を親に持つ中学生の女の子の視点を一本の軸に、太地町での漁師さんの暮らしぶりやクジラ漁の様子、クジラとの関わり合いとその変化、シー・シェパードを筆頭とする外国人の妨害との付き合いなどを紹介していた。

 最近、岡田哲著『とんかつの誕生』(講談社選書メチエ、2000)とフレデリック・L・シムーンズ著『肉食タブーの世界史』(叢書ウニベルスタシス、2001)を読んでいる。
 前者では明治維新以後、洋食を如何にして日本人が受け入れ、また、忌み嫌っていた肉類を如何にして受け入れていったかを懇切丁寧に解説している。後者は豚肉、牛肉、馬肉、鶏肉鶏卵、ラクダ肉、犬肉、魚肉について世界各地のタブーを網羅して説明している。
 タブーとは食事だけでなく、性的なことも含めてのもので、食物ばかり集めても…とは思うが、こうした本を読んで有用なのは、人間は本来、机以外の四足ならなんでも食いかねない雑食性物なのに、何故か、喰うものを限定している。それはなぜかという考察も大事だが、喰うものを限定している、その範囲は文化によってまったく異なるという教訓がある。
 多くの人達が学校給食その他でクジラを食べてきた記憶がある世代がある一方で、物心が着いた頃にはクジラを食べなくなっていた人や、そもそも産まれた頃にはクジラが貴重品になって口に運んだ記憶のない人たちがこの日本でも多くなっている。クジラが食い物であるということがわからない人が日本国内でも多くなっている。外国人ならなおさらだろう。
 クジラを喰うのは野蛮である、クジラを殺すのは殺人者である、というような否定の仕方は、そうはなりたくないという一種の汚れを嫌う態度のようにも解釈できる。汚れとは他者が持つものである。そういうものに触れてしまった反応がどういうものになるのか…。タブーというのは昔のことではなくて、現在でもここでも生産され続けていることなのだと確認した。

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