2011年12月25日日曜日

自分の脳みその輪切りをみたこと

12月23日
 考えてみれば祖父の誕生日。松富さんで鯉の丸揚げのことが思い出される。あんの味が好きになれなかった。
 歩いて三分かからないところにあるのに、松富に外食した記憶はあまりない。

 17時頃、倒れた。
 台所に向かおうとしたところ意識が無くなり、眠りから覚めるような心持ちで気がついたら相方に呼ばれていた。
 相方曰く、棒のようにバターンっと倒れて一分ほど応答なしだったという。倒れた際、頭を打っていた。コケることはよくあるが、頭を打つことはまずない。
 こちらは台所に行こうとしてから倒れていたところまでの記憶は完全にない。意識がなくなるとはこういうことか。
 腕の利き、ろれつ(もともと悪いけど)、頭痛、吐き気その他は異常なしだけど、まあ、万が一を考えて歩いて五分の病院に行く。
 隣国姓名の若い先生がカルテをパソコンに打ち込んでいて、その文字が日本語なのが見えた。言葉の違和感でわかるもんだなぁ。子供の頃に近所の医院で観ていた分厚い洋書やのたくったようなドイツ語は見られなかった。残念。
 CT(初体験!)とレントゲンと血液検査と心電図(たぶん初体験)を受けた。
目をつぶっていると想像力が掻き立てられる。ガタガタ動く寝台に載せられて、グオオオオーとうなる機械をくぐらされた。見えざる何物かが脳みその中をかけめぐっているわけで、ちかちか何かがまたたいて見えるかと思ったら、何事もなかった。残念。
レントゲンは変わらず。今年はこれで二回目か?
血液検査ではもう見るからにこの人はうまいぞって看護婦さんが手際鮮やかにやってのけた。見ると、わかりますね。なんだかわかんないけど、上手い人はうまいって見ただけでわかります。あの差、なんなのだろう。
心電図は寝台に載せられてすぐに終わった。

 CTの画像を観る。自分の脳味噌の輪切り画像なんてはじめて観る。脳みそ、詰まってましたよ。きっとろくでもない妄想と無駄な記憶が詰まっているんでしょう。
 レントゲンはいつ見ても、スッカスカ。俺、細いんだなぁ。
 心電図は異常なし。
 まあ、心配なら循環器系のところいって不整脈調べてみたらと言われる。

 根津の先生が電話を下さる。
 タケムラさんも同じようなことになったらしい。タケムラさんと同じかー。やだなー。体が調おうとしているから4日間、風呂に入るなと言われる。そんなわけでクリスマスは風呂にも入らずに過ごすのであります。

2011年12月22日木曜日

先週末のこと

12月17日朝、新宿着。
 上野に行き、ネットカフェで三時間仮眠。
 駅前のユニクロ、無印良品でショッピング。
 寿湯に入浴。
 最首塾に行く。映画「叛軍№4」(岩佐寿弥監督、1972)の上映と、岩佐寿弥さん(監督)×和田周さん(主演)×最首悟さん(脇役出演)の鼎談。
 戦時中に兵営で狂人として病院に収監されるために天皇制の打倒とマルクス主義を掲げたビラを貼った二等兵が憲兵に取り調べられる様子を26年後に講演会で話し、そのあとで出演俳優たちが演じるとはなんぞやと語り合う内容だった。
人を喰ったような映画であり、とても眠くなり、これはとても売れなかったに違いないと思っていたら、朝日新聞の選ぶ1972年邦画トップ10に選ばれていたのだそうだ。信じられない。
乾杯時には酒はあってもお茶が無いのでお使いに行く。「丹波くんが人使っているのをしているのをはじめて見た」との声が聞かれた。
河童橋の通行人は皆、観光客で道を聞いてもわからなかった。
 水俣の刺身をいただく。酒をいただく。酔う。
池田のおしたさんと会う。想像していたよりも若くていらした。
飲み屋に2次会。後、くしゃみ氏のお宅に邪魔して泊めて頂く。

 12月18日。
 くしゃみ氏宅を辞し、目黒寄生虫館を見学する。生物多様性を担保しているものがなんなのか考えさせられた。ホルマリン漬け標本が多かったが、ホルマリンに漬けると色は抜ける。もっと色はあったのだろうか。
 陰嚢が腫れ上がる寄生虫の病の写真を観る。それで金を稼ぐ江戸期の乞食の話を聞き、絵を見たことがある。誇張だと思っていたが、実際にいたのだ。
 目黒寄生虫館を出て、山手街道を歩くと、行列の出来るラーメン屋の向こうに松本民芸家具がある。ロッキングチェアに惹かれて中に入ると、暇そうにしていたおじさんが家具の選び方を丁寧に1時間以上レクチュアしてくれた。
勉強になった。
 渋谷駅から代々木公園を抜けてオリセンに行き、15時から部屋を借りて悶問をひらく。23時に解散。
 オリセンは学生時代何度も使い、宿泊棟も何度も泊まったが、作業があり、徹夜だったのでしっかり眠ったことはなかった。

 12月19日。
 くしゃみ氏に朝飯兼昼飯としてロシア料理を馳走になる。素晴らしい。店員さんの格好がかわいらしかった。くしゃみ氏の最首塾苦労話を聞く。妹と合流、くしゃみ氏は仕事に行く。
 デパートに行くと、ペットワークスの展覧会がやっていた。展覧会会場の横で洋書を観る。
 映画「宇宙人ポール」を観る。云十年のSF映画史の厚みを感じさせる宇宙人映画の宇宙人映画による宇宙人映画のための映画だった。
 オリセンに行き、オリセンの風呂に入る。
 映画「葦牙」を観る。虐待児の増え続ける児童養護施設の今を写した映画だった。教育的な映画だった。
 はなまるでうどんを食べる。高速バスで帰阪に就く。

他人の離婚話

先日、二ヶ月ぶりに会ったお姉さんのお話を聴いていると、離婚調停中なのだという。子供ちゃんが二人いて、上の子が自閉症なのだという。
 旦那は会社で出会った九州男児で家の事は何もしない。旦那の母親は旦那にべったりでありえないとお姉さんは思ったという。たしかに聞いているだけでも、同性だけど、それダメダメなんじゃないですかと思ってしまう。
 その旦那が子供ちゃんは自分の子ではないかもしれない。だから、DNA鑑定をしろと要求する。DNA鑑定をしたらまったく問題なかったが、それでも、信じられないとヌカす。愛想を尽かしてお姉さんは家を出たのだという。
 お姉さんが専門家に相談すると、そんな旦那は一生変わらないし、子どもを育てなければならないのも変わらないのだから、どうせ変わらないのなら少しでも有利な条件にして生活を再建していけばいいのではと言われてほっとしたという。
 そういうこともやっぱりあるのね。

2011年12月7日水曜日

鳥越俊太郎講演記録

人権週間記念のつどい。
 大東市サーティーホール。
 12月7日。19時開演。
 無料。
 たまたま券が一枚余っていたので行くことにした。
 サーティーホールには初めて入る。大きい。
 ほぼ満員。
 年齢層はかなり高めだった。

○ミルキーウェイ演奏
 曲目
 赤とんぼ。ジムノペティみたいなアレンジだった。
 ダニー・ボーイ
 ハナミズキ
 月の光
 ナチュラル(オリジナル曲)
 
○市長あいさつ
 来場に感謝、日頃からの協力にも感謝、ミルキーウェイも良かった。音楽は良いものだ。
 21世紀は人権の世紀と言われて久しいが、いまだに悔しい思いをしている人がいて、それに気づかない人が多い。
 人権を大切にするとか守っていくというのが大切。これからも仲良くして行って広めていってほしい。
 何かあれば行政の方にもなにか言ってくれ。よろしく。
 今日は鳥越先生がきている。報道のベテランである。ベテランのどういう報道をしてきたかを語ってもらう。
 さきほど会ってきたが、若い。

○市議長あいさつ
 (おおむねは市長と同じ)
 ミルキーウェイの人には市議会でも本会議で演奏してもらった。
 これから市議会の方にもきてね。がんばるから。
 鳥越先生はハンサムだ。
 本日はまことにおめでとうございます。

○鳥越俊太郎講演
 いいですか?こんばんは。こんな広い会場にこんなに人が入っていて、久しぶりだ。
 時々医者の学会に話をしに行く。医者は人の話は聞きたがらない。医者は来ない。看護婦さんやスタッフはくる。
 満員になっていると燃えてくる。
 こういうタイトルで話すのはむずかしい。顔を見てしゃべることを考える。
 (客席から声がかかる。声の方にむかって)お父さんいくつ?59。若い。来年には私は六回目の歳男。歳男は六回目で終わりだね。7回目は難しい。自分の命は難しい。6回目でしまいかと思って後悔のないようにやっていきたい。
 歌でも歌いたい。いいですか?(拍手)
 1曲だけ。今年は3月11日がありました。日本中が東北を考えた。あの光景をみて何も考えなかった人はいない。日本は戦後、66年。広島、長崎、空襲と何万の人が死んでいる。それから戦後、万単位で人が死んでいくことはなかった。
 本当に平和に暮らしてきて、一挙に崩壊したのを目の当たりにした。高齢の方は別にして若い人にははじめての光景だった。
 津波の風景は焼け野原によく似ている。そういうのを体験して色々と考えた。東北はある意味で日本のふるさと。そのふるさとがやられた。そこでふるさとをしのんでなにかを歌いたい。九州の歌、宮崎県の民謡で刈干切唄。収穫が終わると祝言になる。嫁取りなんていうと怒られるが、あぜみちにちょうちんがでてくる。そういう風景を頭に描きながら聞いていただきたい。
 楽器はないのでアカペラで。
 (鳥越俊太郎歌謡ショー。)
 つい気持ちよくなって歌ってしまった。報道と人権の話に戻る。最近感じたのは府知事選で一部週刊誌が橋本さんのことを書いた。お父さんの、その前の代のことまで取材して書いていた。
 ぼくはびっくりした。日本では人権のことを一生懸命にとりくんできたはずなのに現実には依然として後世になっても被差別部落は残っている。特に西日本では残っていると聴いている。
 政策として打ち出されているので表面的には出てこないが、一枚皮をめくれば差別は生き延びていて、そこにまさに表に出た。
 週刊誌はお父さんの前の代はある被差別部落民だと取材した。橋下(ハシシタ)さんはそこにはたくさんいる。お父さんはヤクザ。
 ある女性と結婚をして、ハシシタはやめてハシモトにしたと書いている。そういうプライベートを書いてしまう週刊誌の人権感覚はどうなっているのか。
 週刊誌に言わせればお父さんはヤクザだったが、なぜそうなったのかを踏み込んでいくと被差別部落に行き着くのだとなるだろう。
 そこに踏みこんでもいいものだろうか。それを許してしまう人権感覚。東京のものだと思う。大阪ではできない。
 しかし、橋下さんは見事しかイイようがない。ヤクザだから何が悪いと開き直って武器にした。応援しようという気持ちが高くなって表が伸びたのかもしれず、あれがなければ票差はもっと小さくなっていたかもしれない。
 大阪の東京に対する意識、対抗心、みなさんもそうだと思う。阪神と巨人がおもしろいのもそれが背景になっているかもしれない。
 ちょっとうがちすぎているのかもしれないが、考えさせられた。
 日本の人権感覚は進んでいるか。国連からは何度も人権制度の遅れを勧告されている。代用監獄というのがある。(代用監獄の説明)やっていない人がやっていないといい通すのは本当に稀だ。そして、有罪になる。日本の有罪率は97か8%だ。やっていないと言っても裁判官が認めない。冤罪の温床。制度を改めなさいと何度も言われているのに変わらない。何ら日本政府は処置していない。民主党になっても変わらない。本当にどじょうだと思う。ぬるぬるしていてつかみようがない。冤罪は制度で発生している。そこに報道が加わってくる。
 足利事件、村木アツコさんの事件のあった時、マスコミは何を書いていたか。
 通常、裁判では警察の調書は使えず、検察の調書が採用される。弁護士は調書の証拠の不採用と代わりに証人として供述した人を呼ぶように訴えた。証人は調書の供述をすべて覆した。最終的には証拠として一番肝心な部分が不採用になった。傍目に裁判での旗色の悪さが見えた。
 それでも、メディアはあくまでも村木さんを悪人として伝えた。裁判官としても無罪は勇気がいる。無罪を出すとその裁判官は出世しない。その中でも無罪になる。無罪になった直後に朝日新聞が大阪地裁主任検事の証拠改ざんをスクープした。その日のうちにその検事は逮捕された。上も逮捕された。史上まれな珍しい事件だ。
 私にも因縁がある。
 10年以上前、検察の裏金を取材していた。調査活動費として出費されていた資金のいくばくかが飲み食いや豪遊に使われていたのではないかと取材していた。その中で顔出し実名でインタビューを受けるという検事が出た。インタビューの約束の日にその検事は微罪で逮捕された。逮捕の指揮をとっていたのは今回、逮捕された上役だった。
 ここからもマスコミの諸刃の剣を見れる。人を踏みにじるかもしれないし、悪行を暴露するものかもしれない。
 太平洋戦争で何人死んだか、310万人くらいだとされている。兵隊が250万+民間人60万人。
ドイツはここまでいっていない。アメリカは兵隊が40万人死んでいるが、民間人ではほとんどいない。旧ソ連は一千万人死んでいるが、それを除くと日本は一番大きな被害を出している。
 マスコミは何をシたか。マスコミは煽った。国民は煽られた。
 しかし、一番怖いのは国民。
 北朝鮮が戦争をするのなら最後の最後のやぶれかぶれ。昔の日本もそうだった。その時マスコミのすることは煽ること。
 真実なんてわからない。
 これまでわかったこともない。
 私は私が癌になったことは真実だと言えるが、それ以外のことはとんとわからない。
 時間に追われ、不十分な取材でやっている。報道は欠陥商品だと思う。その中の人間はこれが真実だなんて思っちゃいない。近づこうとはしている。
 事実と真実は違う。
(ペットボトルを手にして)今ここに見えているのが事実だ。しかし、真実とはいえない。事実をいろいろな角度から見ていかないと真実はわからない。
 報道は事実、真実ではない。もっと色々と見ないと真実は見えてこない。中の人間はあまり考えていない。事実を出す。
 見せ方を変えて真実に近づきたい。これを頭から信じてはいけない。ちゃんと見て行かないと。常に疑え。
 そうしないとあっという間に太平洋戦争みたくなる。そういうことが起こりやすい。
 小泉改革。抵抗勢力とか言っていた。小泉劇場。マスコミもおもしろがって報じていた。小泉チルドレンという人たちがたくさんでてきた。小泉さんのあと、良くなっただろうか?
 民主党への政権交代もそう。変わったか?政権としては対米関係は変えていない。むしろ悪くなっている。首相は検討すると行っているが、このままアメリカのペースにひきずりこまれて国民皆保険が崩壊するのではないか。アメリカみたいな医療制度になっても良いのだろうか。
 載せられて投票したとしても、良いとは言えない。
 自民党が良かったかといえば、そうでもない。
 じゃあ、どうするのか。わからない。
 非常に難しい時代。官僚が色々やっているのが現実。
 私が言いたいのはマスコミは事実は伝えているけど、真実は伝えない。眉唾をつけてみて欲しい。


 質疑応答はなかった。

2011年11月29日火曜日

私の死亡広告

『私の死亡広告』だったか、各界の著名人が自らの死亡広告を考えて寄稿した本があった。
 それを読んでいて、自分も考えてみようかと思った。
 こんな風に書かれたらいいなあ。

 某夜気さん(ナナシ・カオナシ=悶問世話人)さんがXX日未明までにアルコール中毒と圧迫性ショックの合併症で死亡していたことがわかった。YY歳だった。知人が呑むために自宅を尋ねた所、某夜気さんが本棚の下、全身酒まみれになって倒れているのを発見、搬送先の病院で死亡が確認された。警察は日頃の某夜気さんの悪癖と現場の状況から事件性はないと見ている。某夜気さんは静岡県出身、2003年に大学に進学するため上京し、留年と中退を経験する。2008年に結婚、2010年に大学を卒業。四国遍路を経て、大阪に移住し、にわか関西人としてぷちディアスポラ気分になる一方、塊より始める怪解なる会『悶問』を立ち上げる。故人の遺志に基づき、来るZZ日には不祝儀ぽっきりオールナイト飲み放題通夜、翌昼からはロケンロールな踊り念仏どんちゃん騒ぎの野辺送りを予定、戒名は「寓多良庵(ぐうたらあん)居士」となる。

2011年10月7日金曜日

スティーブ・ジョブズ氏死す。

 スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。Apple社の創業者であり、IT産業の巨星だった。享年56歳だった。  今の御時世ではテレビを見て、パソコンを眺める生活を送っていればMacでつくられたものを目にしない日は一日としてないだろうし、街中に外出をしたならiPodで音楽を聞く人や iPhoneを操作する人、iPadを叩いている人はありふれた日常の風景として珍しくも何とも無い。  ところ構わずにインターネットに接続し、自分の世界に浸っている人たちをどう考えるかは別の問題としても、そうした現代日本の風景はジョブズ氏の不在からは存在しなかったものだ。  通夜なのだし、今は現代を築いた一人の巨星の死から彼の生きた時代について何かを思いたい。

2011年7月31日日曜日

桃谷・鶴橋・玉造・京橋

 今日は相方と義母さんと桃谷の商店街とコリアンタウンに行ってきた。桃谷の商店街は安く、人通りもかなりあった。シャッタータウンではなかった。
 桃谷から歩いて10分もするとコリアンタウンがある。韓国料理屋と韓流グッズ屋がひしめいている。
 おいしい冷麺屋に行く。鶴橋冷麺でも盛岡冷麺でも無いオリジナルの冷麺と店の正面に書いてあった。誰か友人がこちらに来ることがあって大阪観光に行きたいと言ったなら、ここ良い。
あの辺りでは老舗の韓流グッズ屋に行く。昔はおばちゃんで溢れていたそうだが、我々が行ったときには閑古鳥が鳴いていた。たまたまかもしれない。今はそこかしこに韓流グッズ屋ができていて、競争は激しそうだ。
鶴橋まで歩いて行く。鶴橋に行くまでに何件かの韓流グッズ屋に行った。若いお姉さんたちがひしめいているところと、閑古鳥が鳴いているところの差が激しかった。素人目に見た感じの見た目は変わらないが、義母さんの玄人眼によれば品揃えが違うのだという。壮絶である。店内は関西弁でかしましかった。
鶴橋でキムチを買う。価格は桃谷よりもずっと高かった。歩いて十分かそこらだというのに、ざっと見で少なくとも3割4割違うのではないかと思った。鶴橋で義母さんと分かれ、相方と二人で京橋へと歩いて行く。
途中で立ち寄った玉造のブックオフでは半額セールがやっていて、以下の本を買う。
・倉橋由美子『パルタイ』
・村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』
・平井充良編集『昭文故事ことわざ辞典』
・今井繁人『すぐに使える関西弁会話入門』
・別冊すてきな奥さん『すてきな奥さん厳選!THE BEST OF節約おかず』
・リングカラン『きれいな私をつくる、毎日の習慣』
 玉造温泉の横を通った。玉出スーパーに入った。遠近感が分からなくなる店内のレイアウトで、気持ち悪くなるが、異様に安かった。
 大阪城公園の中を通りぬけると、プリキュアか何かのコスプレをした親連れの女の子たちが行列を成していた。あれくらいの年代は何を着せてもかわいいのだろうけど、あれはちょっとやり過ぎかなーっと思った。

2011年7月25日月曜日

NHKのETV特集『鯨の町に生きる』を見た。

 NHKのETV特集『鯨の町に生きる』を見た。
 クジラ漁、イルカ漁で揺れる太地町を取材したドキュメンタリーだった。
 捕鯨に関する主張については新しく知る事実、意見は特に無く、シー・シェパード側の言い分もほとんど無かった。日本人と外国人のステレオタイプな対立の図式が色濃く出ていた。
 大地町の平均年収は200万円ほどで、クジラ漁師たちの平均月収は350万円ほど。
 先祖代々、クジラ漁で生計を建ててきた人が多く、苗字にもクジラ漁での役割分担の名残が色濃く残っている。
 31歳と32歳のクジラ漁に従事する兄弟が紹介されていた。爺さん、親父とクジラ漁をやっていて、それしか観ていなかったから自分も自然にそうなるものだと思っていたと話していた。
番組の中で死にゆくクジラの眼を見るのが耐えられずにクジラ漁師をやめた人の話が出てきたが、クジラ漁ではない漁師では年収は半分ほどになってしまい、また、クジラ漁に戻っていったという。
 そうした中で、クジラ漁師を親に持つ中学生の女の子の視点を一本の軸に、太地町での漁師さんの暮らしぶりやクジラ漁の様子、クジラとの関わり合いとその変化、シー・シェパードを筆頭とする外国人の妨害との付き合いなどを紹介していた。

 最近、岡田哲著『とんかつの誕生』(講談社選書メチエ、2000)とフレデリック・L・シムーンズ著『肉食タブーの世界史』(叢書ウニベルスタシス、2001)を読んでいる。
 前者では明治維新以後、洋食を如何にして日本人が受け入れ、また、忌み嫌っていた肉類を如何にして受け入れていったかを懇切丁寧に解説している。後者は豚肉、牛肉、馬肉、鶏肉鶏卵、ラクダ肉、犬肉、魚肉について世界各地のタブーを網羅して説明している。
 タブーとは食事だけでなく、性的なことも含めてのもので、食物ばかり集めても…とは思うが、こうした本を読んで有用なのは、人間は本来、机以外の四足ならなんでも食いかねない雑食性物なのに、何故か、喰うものを限定している。それはなぜかという考察も大事だが、喰うものを限定している、その範囲は文化によってまったく異なるという教訓がある。
 多くの人達が学校給食その他でクジラを食べてきた記憶がある世代がある一方で、物心が着いた頃にはクジラを食べなくなっていた人や、そもそも産まれた頃にはクジラが貴重品になって口に運んだ記憶のない人たちがこの日本でも多くなっている。クジラが食い物であるということがわからない人が日本国内でも多くなっている。外国人ならなおさらだろう。
 クジラを喰うのは野蛮である、クジラを殺すのは殺人者である、というような否定の仕方は、そうはなりたくないという一種の汚れを嫌う態度のようにも解釈できる。汚れとは他者が持つものである。そういうものに触れてしまった反応がどういうものになるのか…。タブーというのは昔のことではなくて、現在でもここでも生産され続けていることなのだと確認した。

2011年5月12日木曜日

顔クッキー


相方は顔クッキー作りにはまりつつあります。おもしろいよね。なるべく着色料を使わずにおいしくなんかつくるんですから。

2011年5月2日月曜日

最近毎日お祭りみたいな食事

 一昨日はイギリス王室の結婚式ということで、梅田のハローワーク帰りにデパチパに行って晩飯買ってきました。
 そういうわけで、とてつもなく豪勢です。
 チェダーチーズ、スモークサーモン、スナップエンドウ、しょうが、八天堂のクリームパン、レーズン、お惣菜盛り合わせ。
 さすがはロイヤルウェディング。デパチカは人でいっぱいでした。
 家に帰ってサーモンカルパッチョサンドと白ワインでいっぱいでした。スナップエンドウはゆでておいしかったです。

 昨日は義父さんがもらってきた穴子と、お野菜でてんぷら。
 相方の作った冷ご飯入りパン第二弾は好評でした。

 今日は昼にお蕎麦と冷ご飯入りパン第三弾を食べました。
 晩はあなごの蒲焼でした。







2011年4月27日水曜日

4月27日朝御飯

 今日の朝御飯。
 冷ご飯入れてつくったパン。ゴパン手ごねバージョン。
 さつまいものポタージュ。
 チーズ、アスパラガス、レタス→サンドイッチ。

 言われなければ米が入っているとは思えません。

2011年4月26日火曜日

2011年4月26日夕ごはん

 お献立
①鶏のハニーマスタードオーブン焼き しんじゃが、きのこ、ニンジン、ニンニクぞえ
②ほうれん草と新たまねぎと卵のミモザサラダ
③さつまいものポタージュ
④きのこの炒め物のオムレツ
⑤白ワイン
⑥自家製コーヒーゼリー

 相方の実家に世話になってます。
 今日は品数もたっぷりに相方がディナーをこさえました。
 会津若松産おいしい鶏肉(地震騒ぎで倉庫で眠っていた高級な冷凍鶏肉を頂いたのです)をメインに新じゃがいも、きのこ、ニンジンが脇を固めて焼かれていました。
 きのこの炒め物は義母さんが昨晩の夕ごはんにつくって残った物をオムレツにアレンジ。しゃきーんとな。
 ミモザサラダは白黄色のコントラストがきれいで、クリーミーな酸味がありました。
 さつまいものポタージュはコンソメがきいておりました。さつまいもが甘かったです。
 コーヒーゼリーのクリームは発掘品で、水分がとんで、クリーミーでないバター的になっていました。コーヒーゼリーだけか、牛乳の方が良かったです。コーヒーゼリーはぷるるん爽やかでおいしかったです。

 昨日は豆ご飯、さわらの煮魚、きのこの炒め物、たけのこの若竹煮と味噌汁でした。ここのところ、夕食のお献立の品数が倍増しております。摂取カロリー量も倍増しているのかな?

 明日朝は冷ご飯入り手ごねパンの予定です。

2011年4月10日日曜日

選挙

 ウルルン滞在記が放送していた。
下らなくて、安心して見られる。下る番組見てばかりだと腹下しそうな今日日だから、こういう下らなさは全然悪くない。
不愉快になるバラエティは多いが、テレビはバラエティだけやっていてほしい。不愉快なものは見なければいい。見なくて済む環境で、見なくて済むのなら、何も良くも悪くもならない。

 統一地方選挙の開票結果が出ている。
 東京では石原さんが当選した。ぶっちぎりだ。
大阪の議会ではどうも現職が負け気味だ。顔が変わるのは何か変わる象徴だ。何か不祥事があれば首がすげ変わるのはそのためだ。
変わらない方が良いこともある。変わることが良いこともある。顔ぶれが変わっても、変わらなくても、どっちにしたって状況は時々刻々と変わる。
情況と状況とをどう対応させていくのかはたぶん心の持ちよう。身のふりよう。

2011年4月9日土曜日

大阪では選挙運動をしていた

 記事だけを見て、悪く言えば渡辺さんや東国原さんや小池さんは大衆迎合だと思う。
 思うけど、そろそろ石原さんには引退していただきたい。
 退き際を間違えないことがかっこいい男のあり方だと思う。
 ダンディズムがあるのなら、その辺りはご自身で判断されることかもしれない。
 しかし、今、78歳で、仮にまた都知事になったら次は何歳なんだろう。任期途中でお亡くなりになる可能性は低くない。政治家として死にたいのだろうか。人のことを心配し過ぎだろうか。
 まだ都民八年目位だけど、文学者としてではなく、都知事としての石原さんの何がいいのか、都民は何をそんなに石原さんを支持するのかさっぱり理解出来ない。
 それならまだ聞く耳持っていそうな他の候補に入れようと思うもんだ。われわれがわれわれの代表に求めるものはなんだろうか。それはたぶん清廉潔白なだけの聖人君子風味ではなく、我を張るだけの意固地でもない。われわれを代弁してくれそうな人を普通は代表だというんだと思う。
 今年は東京都の期日前投票が前回の1.6倍になったのだそうな。
 みんな東京から逃げ出しているんだろうか。某夜気も大阪に来る前に投票してきましたよ。
 もしかしたら某夜気にとっては最後の都知事選になるかもわかりません。

 石原さんは中国や北朝鮮に対抗して日本も核軍備するべきだとおっしゃったみたいです。よくわからない議論です。わからん奴は馬鹿だと言われるかもしれませんけど、バカにもわかるように言ってもらいたいです。大衆迎合、衆愚政治と馬鹿にする前に、バカにわかるように言うことは大事だと思います。それでもわからないなら仕方がないですけど、そういうこと、やっているんでしょうか。ワタスには理解できません。
 ラオスやタイあたりと戦争をするなら核軍備はわかりますけど、中国と北朝鮮相手にわざわざ核軍備する必要はなくないですか?中国にも北朝鮮にも原発があるじゃないですか。そこにミサイル叩き込めばいいじゃないですか。
 核軍備論者が敵国の原発を確実に叩き潰せるミサイルをつくろうっていうのなら、わかります。町一個吹っ飛ばすよりも、その地域全体を住めなくしちゃう方が痛いです。相手の痛いことをするのが作戦です。
 某夜気がテロリストならテレビ見て原発狙おうって思うと思います。某夜気が将軍様なら、もし日本と戦争することが不可避になるなら原発にテポドン撃とうと思うと思います。地震国日本の原発が震度10の地震に耐えられ、20Mの津波に襲われても大丈夫だったとしても、ミサイルが叩き込まれることはきっと想定外だと思うのです。
 北朝鮮がミサイルを撃とうとしていた時、迎撃部隊が出張って東京の防衛についたと思いますが、原発あたりには配備されたんでしょうか。
 ピンポイント爆撃、精密攻撃ってクリーンな戦争には欠かせない言葉です。それは専守防衛にも必要な技術です。たぶん。北朝鮮がミサイルを撃ったらすぐに原発に日本のミサイルが飛んでいくんだぞーっていうのは核抑止力になるんじゃないでしょうか。実験しないと使えるのか使えないのかわからない、ただ持っているだけではなんの脅しにもならない核兵器よりかはよほど役に立ちそうです。素人考えだけど。
 そして、それはたぶん精密誘導技術は宇宙開発には必要な技術でしょう。宇宙立国日本の礎にもなります。
 だから、核武装しようっていう人よりも、ミサイルをつくろうって言う人の方がこわいなーって思うけど、賛成できると思うのです。

 核ミサイルが雨あられと降り注ぎ、日本全土が焦土と化しても原発だけは無事に稼動しているくらいまでに原発を要塞化できるのなら良いんだと思いますが、それはきっと無理な相談ですよね。
 安全な運営に務めることは、どんくらい妥当な相談なのか、ということも含めて今後、議論になると思います。
 その時、やっぱり、代表の人には、全部は無理だけど、ちょっとくらいは自分の意見を代弁してくれそうな人を選ぶのです。
 その時には、数年後には死んでもおかしくない人よりも、すくなくともあと二十年くらいは生きそうな人を選びたいのです。
 本当の意味で、責任なんてとれるわけないのですから。死人にはクチがないのです。
 せめて、生きて目で二十年後を見られそうな人を代表者に選びましょうと思うのです。


都知事候補 原発へのスタンス
毎日新聞
 福島第1原発事故が、都民の生活にも影響を及ぼす中で行われている東京都知事選は、10日の投開票日に向けた各陣営の懸命の訴えが続いている。計画停電の実施や水道水の摂取制限などは生活に密接にかかわるだけに、大電力消費地・東京のトップを目指す主要候補の原発へのスタンスも注目される。【東京都知事選取材班】

 主要候補のうちいずれも新人のワタミ創業者の渡辺美樹氏(51)、前宮崎県知事の東国原英夫氏(53)、共産党前参院議員の小池晃氏(50)=共産推薦=は、原発の見直しや自然エネルギーへの転換を訴える。

 「原発には反対だが、争点にはならない」と話していた渡辺氏。関心の高まりを感じ、終盤戦から「原発推進には違和感を感じる」と自然エネルギーへの転換を訴えるようになった。「今街を見て少々暗くてもそんなに困らない。子どもたちに負担をかけてまで便利で豊かな生活をする必要があるのか」と問いかけている。

 東国原氏は選挙ビラのマニフェストの冒頭に「原子力からグリーンエネルギーへ」と、原発の縮小・見直しを掲げている。五輪誘致のための都の基金約4000億円を太陽光発電の普及などに充てるという。「立ち止まって考えるべきだ。自然エネルギーにシフトする機会だ」と訴えている。

 小池氏は、「原発の安全神話と決別して、安全最優先で見直そう」と、新たな原発建設計画の撤回などを訴える。「都は東京電力の大株主。都のエネルギー政策にかかわる問題」と重視。さらに「都民の最大の関心事に触れないのは、極めて無責任だ」と徹底した論争を望んでいる。

 現職の石原慎太郎氏(78)のスタンスは異なる。1日の記者会見で、「(今回の事故で)原子力が全面否定されることは、国にとって好ましくない」と語り、資源の乏しい日本には必要との立場を貫く。「フランスのように電力をほとんど原子炉に頼って見事に運営している国もある。技術が劣っているなら取り戻し、安全な運営に努めたらよろしい」とも話した。

2011年4月4日月曜日

ラベルが読めない

おばさんにもらったローションのラベルをGoogle翻訳で詠もうとした。

ドイツ語
empfindliche haut braucht besondere pflege.
ph5 lotion wurde von der eucerin haut-forschung speziell fu"r die Bedu"rfnisse empfindlicher Haut entwickelt. Auch zur ta"glichen Pflege Allergie gestresster Haut(Soforttyp, z.b.Heuschnupfen).
Klinsche Studien beweisen:Ausgezeichnete Wirksamkeit und Hautverta"glickeit
selbst bei erkrankter Haut.

Google翻訳
敏感肌の方には特別な注意が必要です。
pH5乃至Eucerinローションは、敏感肌の方のニーズに具体的に、皮膚の研究によって開発されました。また、ストレス皮膚アレルギー(即時型zbHeuschnupfen)の日常生活上の世話してください。
臨床試験は、優れた有効性とHautverta"glickeitを証明するために
も病皮膚インチ

…意味分かるのか、わからないのかはともかく。
…インチってなんだ?

2011年3月21日月曜日

3月19日のパイと3月21日ごはん

3月19日
しっパイ。某夜気の教習所の卒業祝い。
材料はサツマイモ、リンゴ、バター、牛乳、シナモン、ラム酒、ごま、黒糖、冷凍パイ生地。
卵無しで試みる。照りが出なかった。

3月20日
ごはん
みそしる。高野豆腐、わかめ、ねぎ、きのこ。
きんぴらごぼう
きのこの醤油づけ

3月21日

ひじきごはん
なのはなのおひたし
味噌汁。たまねぎ、じゃがいも、わかめ。
なっとう。


かき揚げ丼。半額だった。
味噌汁。切昆布。切干大根。たまねぎ。あげ。
かつおのさしみ。見切り品。おいしかった。
ワイン。




2011年3月20日日曜日

3月5日

朝ごはん

ブリ大根の残り
大根葉ふりかけ
お味噌汁
七ぶづきごはん





夜ごはん
アルゴビ(インドで言うところの肉じゃがのようなもの)
カレースープ
ねぎかまもずく酢
七分づきごはん

インドのUdaipurで食べた
アルゴビが思いのほかうまくできたので、忘れないようにレシピを残しておこうっとー
アルゴビ


AlooGobi

2011年3月15日火曜日

地震特需恐るべし

 鶴川街道のガソリンスタンド、今日15時位にガス売り切れになってました。ガソリンスタンドがガス欠と言うのはなんと早と言う感じです。
 夜、駅前のスーパーに行ったら一軒は閉まってました。もう一軒の方は写真のような状況です。欲しいものは朝飯用の納豆と炭酸飲料だったんですが、どちらも手に入らず。
 手ぶらで帰ってきました。
 このところ、スーパーが普段では想像もつかないくらい人であふれています。
 地震景気、地震特需というのはまだまだ続きそうですね。
 昔日のオイルショックっと言うのは、こんな感じだったんでしょうか。













1枚目
いつもは豆腐や納豆が山積みにされている。見事に無い。

2枚目。
ラーメンやうどんや焼きそばが満載のコーナー。何も無い。

3枚目。
肉コーナー。

4枚目。
何故かあさりだけ残っている。

5枚目。6枚目。
干物も調味料もおかしもない。

7枚目以下
牛乳も、袋入りのキチンナゲットとかからあげとかソーセージも、ヨーグルトも、ベーコンも、パンもない。

2011年3月13日日曜日

3月13日の都内駅前スーパー店内風景

 ガソリンスタンドがどこも軒並み行列できていたけど、日曜昼間のスーパーは人でごった返していてびっくり。品物が棚から消えていた。




2011年3月5日土曜日

3月4日

朝食は、白ワインと、油揚げピッツァ。あぶらあげ。とまと。ちーず

夕食。ほぼ夜食。夜中の三時。おやつだね。

ごはん。七分づき。
みそしる。だいこん、あぶらげ、ほしいも、しょうがあ、みそ。
たまごやき。
だいこんばのふりかけ。
昨日にたブリ大根。

2011年3月4日金曜日

ひなまつり

ちらしずし
にんじん、ごぼううぅ、ほししいたけ、ごま、しそ、かにかま、たまご、のり。
酢。砂糖。塩。米。

ぶりだいこん
ぶり。みりん、しょうゆ、酒、しょうがで三日くらい漬けていた。
大根。みり、、しょうゆ、酒、しょうがで付け汁丸ごとぐらぐら煮た。
とても、ぶりもぶりぶりしていて、味もしみ込んで、おいしかった。

インスタントみそしると卵スープ(お遍路中にお接待で頂いたもの)

3ℓワイン




2011年3月3日木曜日

siken

test

tesuto

sikensiken

2011年3月1日夕食

大根とにんじんのしりしり
ごはん
みそしる
沖縄気分でした。

2011年2月27日日曜日

2011年2月25-26日 食事風景

25日は昼食にトマトスパゲッティと発泡酒でした。きのこクリームパスタも食べました。


晩飯はあさりの酒蒸しでした。あさりが240円くらいのところ80円だったので(^^)v

26日は朝食は味噌汁と、だしをとった鰹節のがらでふりかけをつくって食べました。
昼飯はもやしとウィンナーの醤油いためでした。
夕食は鶏肉のトマト煮でしたが、ちょっと失敗。何か足らない味でした。残念。
夜食に夕食をベースにしたカレーでした。これはおいしかったです。
たまねぎ催行です。

2011年2月24日木曜日

2月24日朝食と夕食

朝飯
ごはん
味噌汁。にんじん。まいたけ、しいたけ、ねぎ。
卵とにんにくとまいたけとねぎの炒め物。

夕食
キムチ鍋。

キムチ鍋雑炊。

2011年2月22日火曜日

2011年2月22日と21日夕食

今日はかぼちゃグラタンでした。
かぼちゃ、マカロニ、まいたけ、しいたけ、ツナ缶、たまねぎ、
小麦粉、バター、牛乳、チーズ、塩コショウ、コンソメ




昨日の夕食はお客さんがきたのに普通でした。
ごめんね。
麻婆豆腐と、きのこのみぞれあえと、おみそ汁とおかゆ。


お客さんがつくってきてくれたケーキです。




ラムレーズンとくるみのパウンドケーキ。幸せ~^o^v~♪