2010年1月27日水曜日

婚活の日

 けふは日本で初めて新聞に結婚相手募集の記事が載った日なのだそうだ。
 それにしても、某夜気の感覚としては恥でしかないような内容なんだな。曰く当方女房と離縁したため、貧富を論ぜず、17歳〜25歳の嫁さんを求む、とのこと。
 成果の程も知らないし、そもそも広告主がいかなる人物なのかも知らないが、こんなもん出した日には末代までの笑いものになるんじゃないか。家族の抵抗はさぞ激しかったのだろうと推測してしまう。
 ただ、広告主が笑いものにならず、むしろ家族も勧めてのかかる新聞広告であるとすれば、やっぱり、某夜気には理解しかねる世界があるように思える。かつ広告から縁結ばれたとしたら…ディープな世界がそこにはあって、その後裔にやっぱり婚活があり、多少はそのお零れも与かって今日の某夜気があるとすれば、風吹けば桶屋
がもうかるではないけれど、なんだかなあ〜と思えてくる。

2010年1月11日月曜日

成人式報道

 かつては小正月が成人の日だったわけだけど、ハッピーマンデーが施行されて以来、絶対に十五日になることのなくなった成人の日に替わり、今年は今日が成人の日として三連休となり、昨日今日と多くの地域で成人式が執り行われていたらしい。「荒れる成人式」というのは記憶にある限りもう十年も前からジョウトウとしてテレ
ミでは言われ、叫ばれ、喧伝されてきたことではあるが、やはり、今年も逮捕者が出た旨の報道が伝えられている。
 もう終わってしまったお父さんのためのワイドショー講座を除いて、ワイドショーは一人だと絶対に見ないけど、今晩辺りホシノ監督あたりが満面に笑みたたえて、テレミを見ているお父さんたちのうっぷんを晴らすべく、期待されてるステロタイプを再生産するに違いない。某夜気がヤマセマミのにわかファンクラブであるように
、ホシノ監督は、なんといってもお父さんたちにとっては、きっと英雄だから。
 大人気がないと言うけれども、大人の関係というのは出会い系用語では、いつでもヤリ捨てできる極めて都合の良い関係ということを指し、大人だろ、というのは俺様の言うことが聞けないのか、このヤローというのとほぼ同義である。たぶん。この限りではもう生善説ってあるんだなあと思えてくる。
 今年は二十歳というのは平成生まれということである。日本で何箇所成人式をやり、何人がそこに出たのかは知らないけど、荒れないわけがないじゃないか。そんだけたくさんいたら何十人か何百人かそんくらいは調子こくに決まっているのである。だってお祭りだもん。狭い狭いと言っても十分広いこの日本で、何百万人もいる新
成人で、この誰も調子こかなかったら、北朝鮮のマスゲームも真っ青だし、ファシズムのイメージそのまんま!
 某夜気にとって絶望的な気分にさせられ続けたのは荒れる成人式ではなくて、そんなことにいちいち深刻に目くじら立てなければならないかのように見せつけられる報道そのものだったし、同じワイドショー見てたら景気だの雇用だののニュースは途絶えることはたぶんないと思うけど、その矢面にある連中への敵視であり、また、
青少年やら若者やらをいかに消費していくかにかける情熱であり、こういうものがこれからも飽きもせずに繰り返されることそのことである。

左義長

 今日は小正月ということ(ほんと?もうちょっと先でない?)で各地で左義長が執り行われている。左義長のまたの名をどんど焼きもしくはさいと焼きという。もっといろいろ呼び名はあるのかもしれない。たぶん正式名称はない。
 静岡県東部の某夜気の地元ではどんど焼きと言っていたが、同じものを静岡市の方ではさいと焼きというらしい。さいと焼きのさいとはサイコロのさいだと聞いたことがあるが本当かどうかは知らない。ただ、どうもわからないのは、どんど焼きと言っていたのは二本松の浅間神社界隈だけで、富岡とか深良とか麦塚あたりにそうい
う呼び方があるのかどうかというとこれはもうわからない。同じ市内でもその辺りは違う町のように思っていたし。その辺りの人間とはまるで交流がなかったから…あ、でもバアさんは麦塚生まれだ。
 ただ、考えてみると、どんど焼きというのが某夜気の地元ではこんなに早い時期にやっていたかと考えてみると、どうもそんなわけではないように思える。というのは小学校では書き初めが冬休みの宿題になっており、学校がはじまって先生に出すわけだけど、たしかにそれを教室の後ろの壁に張り付けていたような気がする。そう
するとせっかく張り付けたわけだし、感覚的には結構な期間はりだしていたと思うけど、それをはがして持って帰ってどんど焼きに放り込むわけで学校が始まってすぐのこの時期にやるというのはいささかせわしないような気がする。だからたぶん一週間くらい後に地元ではどんど焼きをやるんだろう。足し算的には。
 まあ、時期はいくらも変わるもので、某夜気の地元はお盆は七月半ばだし、お社のない神社である吉田神社のお祭りがある。吉田神社はよくわからない。京都の吉田神社は学問の神様であるのだけど、裾野の吉田神社は何の神様なんだろうか。お社も鳥居もないけどお札はある。実家の台所に貼ってあるけど、なんだかよくわからん
なあ。
 いつか(来週行くけど…げっそり)相方の実家に行った時書き初めなのか半紙に墨で字したためたものが貼ってあったけど、書き初め以外になんか書くほど、ここは熱心なのかと思ったし、なるほど字はうまいけれど、どんど焼きがある小学生時代を過ごした某夜気にとってはえらいことだと思えたけど、もしかしたら、そうではなくて、
ただ単にどんど焼きがないからもさないだけだったのではなかったかとも考えられる。いや、マジでうまいけど。妹さんの字だけど。
 どんど焼きがないということは、そういうところで育つと、忌まわしい宿題の産物である書き初めを燃やす快感や、長い竹にさしてアルミはくでくるみ火にかかげて焼いたこぶし大の団子にきなこをつけて食う味も知らない、ということになる。
 今、二本松の浅間神社でどんど焼きをやっているのかどうかは知らないけど、十年くらいまえから岡上でどんど焼きをやるということはそういうことなんだなあ、と思った。たぶん今まで一度も岡上どんど焼きには行ったことないけど。焼け跡は見てたけど。
 うちのお飾りはよろしく焼かれただろうか。

2010年1月10日日曜日

眠れない

ねむくない
でもねむらねば
明日仕事
されどねむれぬ
正月明けよ

やっときたと
思ったらすぐに
終わりだよ
はやいものだの
正月休み

人よりも
少し遅めの
正月の
あとの休みは
いつになるのか

2010年1月9日土曜日

よっぽどうっぷんたまっていたのでしょう

クソババと
道でののしる
壮女あり
彼女の前に
クソババおらず

女かと
見違う男
駅にあり
今夜も寒い
一夜過ごすか。

道端に
立つる男と
目があえり
明日は我が身と
思えるものか

2010年1月7日木曜日

夕霧忌

 知ってる人は知ってるんだろうけど、夕霧忌は俳句の季語です。季節は春らしいです。某夜気は知らなかったけど。
 夕霧というのは女の人の名前です。しかも、源氏物語に出てくる女の人の名前ではなくて、大阪だか今日だかの遊郭の20かそこらで死んだ遊女さんだったらしいです。
 よっぽど綺麗な人だったらしく、なんか脚本化されて人形劇になったりしたとか。
 それで季語になるなんてな〜。
 でも、たぶん、夕霧忌の一月七日というのは旧暦になるんじゃないかな?そうすると一月か二月か先の話だなあ。
 古人は教養として短歌をたしなみ、また、普段の事柄を俳句に詠みこんだけど、某夜気もそれにならって今朝のことを三首作ってみよう。
 きれ字はよくわからないので使わないけど。


 おこたにて
 浅き夢見し
 夕霧忌

 白い息
 映える晴れ空
 夕霧忌

 夕霧忌
 下痢腹抱え
 急ぎ足

 われながらお粗末というか、お下劣だなあ。

 女殺油地獄見たい。

2010年1月6日水曜日

良寛忌

 今日は良寛がなくなった日らしい。
 散る桜残る桜も散る桜、とか、良寛に辞世あるかと人問わばナムアミダブツナムアミダブツナムアミダブツというと答へよ、とかいう句が有名である。むしらそれしか知らないけど。
 お酒をよくたしなむ人であったらしい。それに尼さんに恋していたらしい。新潟(シンランさんが京から放り出されて本格的に活動した土地であり、結婚して子供つくったところであり、浄土真宗が多い土地)の人だし、俺が死ぬときにはナムアミダブツと言うと言っとけなんて言うくらいだからてっきり良寛も浄土真宗なのかと思
っていたら曹頭宗なのね。念仏じゃなくて座禅か〜。じゃあナムアミダブツなんて言わないんじゃないかな?
 ずいぶん前、良寛の弟の句を収めた伝記がブックオフで百円で出てたけど、買っておけば良かったかなあ。

2010年1月3日日曜日

めでたいはなし 

 この三日くらいで、入籍したとかなんとかいろいろと聞くけど、今度は桃のロールケーキをつくるのがうまいらしいM氏の、とてもおいしいごはんをくれた奥様が妊娠したらしいと相方から聞いた。
 なんでも市販の検査キッドで反応が出たらしい。もう九割八分確定でね?今度病院で検査するらしいけど本当、ラッシュがきてるのかもしらない。

2010年1月2日土曜日

年賀状

なんだか写真入りの年賀状がきた。
誰のだろう。名前も知らないし…こんな顔知らないぞ…と思ったら名前のところに小さく旧姓ナニガシと書いてあった。
名前が変わってメガネかけてないと本当にわかんなくなるんだなあ。
四年くらい、たぶん毎週五回は顔合わせていたはずなのに。
だばだば。

元旦に入籍したカッポーもいたし、それ知らなかったから男の方は完全スルーした年賀状送っちゃったし。
そういうのこれから増えていくんだろうなあ。

2010年1月1日金曜日

 魚に旨と書いて鮨となる。読みはスシである。たぶん割合新しい漢字なのだろうけど、我々の寿司に対する感情を見事に当てているように思える。寿司はうまいし、まことに目出度いものである。
 言に旨と書いて詣となる。詣でると書いてもうでると読む。意味はどっか神社に行って拝んでくる、ということか。
 言うという字はこととも読む。小言とか言葉とかいうけれども、日本には言霊信仰がある。サザンオールスターズだって愛の言霊と歌っているけど、歌詞は割合聞き取りやすいと思う。
 ことほぐ、と読んで寿ぐとか言祝ぐと書くが、ことほぐのは偉い人とか専門的な技能集団の仕事だった。玉音放送なんてのはそういう意味ではズバ抜けてえらい録音だったのである。
 〜長と肩書きのつく人の誰も聞かない〜辞というのもことほぎであり、某夜気がとにかく苦手なスピーチというのもことほぎである…場合がある。
 そうすると旨いというのは技能的な産物に対する言葉なんじゃないか。詣でるのも技能である。よくわからないけど、浮かれた気持ちで初詣に行くというのはそれ事態が作法的な因習のようなものである。そういうものでも楽しんでいくのがいいんだろうなあ。

二月六日(土)悶問のお知らせとお誘い

 新年あけましておめでとうございます。BCCにて失礼させてもらいますが、昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。
 さて、2010年になっていきなりになるのですが、二月六日(土)に新年会も兼ねつつ、三文字以上三万字以内で何か書いて読みあう会をしたいと思い、お誘いとお知らせをさせてもらいます。
 まあ、近況だけでもまずは聞かせてもらえたら、というのが第一にあるのですが、書ける人は最近、感じたこと、思ったこと、考えたこと、活動報告、その他、書きたいこと、他人に読んで聞かせてみたいこと、とりあえず聞くだけ聞かせてみたいこと、書きかけの論文エトセトラ題材は何でもOK、極端な話、シリメツレツ、稚拙
なることこの上なくても構わないから、エッセイでもシヂメでも論文でもポエムでもノベルでもラブレターでも形式は自由で、本文三文字以上三万字以内の日本語の文章を書いて持ってきて、それを肴に酒でも飲みつつ話しでもしていきたいです。
 これまで何度かやってきて色んな立場から文句が吹き出していますし、反省点はありますが、個人的にはまずはどんなものでも書くこと、読むこと、聞くこと、話すことが大事なことで、そういうのを共有していくのは大事だと思うのです。
 論理的でないからと言ってつぶすべきではないし、また、わからないからと言ってそれそのものをつぶすべきではないのです。ただ、自分が持っている文章の背景は相手は持っていないということを前提にした方がいいと思うのです。そんなに気難しくなく気楽にやれたら一番なのです。
 そういうわけで、参加していただける方いましたら当日二時くらいから、場所は和光大学コンパ室か拙宅にてやりませう。二百円か三百円くらいの現金はお持ちください。持ちよりあるとうれしいです。文章持ちよってもらえる人いたら、今関に原稿もらえればこちらで印刷します。早めにください。メールに添付して送ってもらえ
たらもっとうれしい。あと、大方の人数把握したいので、顔さ出してやるべと思う人あれば連絡もらえたらうれしいです。
 そういうわけで、よろしくお願いします。