2010年1月11日月曜日

左義長

 今日は小正月ということ(ほんと?もうちょっと先でない?)で各地で左義長が執り行われている。左義長のまたの名をどんど焼きもしくはさいと焼きという。もっといろいろ呼び名はあるのかもしれない。たぶん正式名称はない。
 静岡県東部の某夜気の地元ではどんど焼きと言っていたが、同じものを静岡市の方ではさいと焼きというらしい。さいと焼きのさいとはサイコロのさいだと聞いたことがあるが本当かどうかは知らない。ただ、どうもわからないのは、どんど焼きと言っていたのは二本松の浅間神社界隈だけで、富岡とか深良とか麦塚あたりにそうい
う呼び方があるのかどうかというとこれはもうわからない。同じ市内でもその辺りは違う町のように思っていたし。その辺りの人間とはまるで交流がなかったから…あ、でもバアさんは麦塚生まれだ。
 ただ、考えてみると、どんど焼きというのが某夜気の地元ではこんなに早い時期にやっていたかと考えてみると、どうもそんなわけではないように思える。というのは小学校では書き初めが冬休みの宿題になっており、学校がはじまって先生に出すわけだけど、たしかにそれを教室の後ろの壁に張り付けていたような気がする。そう
するとせっかく張り付けたわけだし、感覚的には結構な期間はりだしていたと思うけど、それをはがして持って帰ってどんど焼きに放り込むわけで学校が始まってすぐのこの時期にやるというのはいささかせわしないような気がする。だからたぶん一週間くらい後に地元ではどんど焼きをやるんだろう。足し算的には。
 まあ、時期はいくらも変わるもので、某夜気の地元はお盆は七月半ばだし、お社のない神社である吉田神社のお祭りがある。吉田神社はよくわからない。京都の吉田神社は学問の神様であるのだけど、裾野の吉田神社は何の神様なんだろうか。お社も鳥居もないけどお札はある。実家の台所に貼ってあるけど、なんだかよくわからん
なあ。
 いつか(来週行くけど…げっそり)相方の実家に行った時書き初めなのか半紙に墨で字したためたものが貼ってあったけど、書き初め以外になんか書くほど、ここは熱心なのかと思ったし、なるほど字はうまいけれど、どんど焼きがある小学生時代を過ごした某夜気にとってはえらいことだと思えたけど、もしかしたら、そうではなくて、
ただ単にどんど焼きがないからもさないだけだったのではなかったかとも考えられる。いや、マジでうまいけど。妹さんの字だけど。
 どんど焼きがないということは、そういうところで育つと、忌まわしい宿題の産物である書き初めを燃やす快感や、長い竹にさしてアルミはくでくるみ火にかかげて焼いたこぶし大の団子にきなこをつけて食う味も知らない、ということになる。
 今、二本松の浅間神社でどんど焼きをやっているのかどうかは知らないけど、十年くらいまえから岡上でどんど焼きをやるということはそういうことなんだなあ、と思った。たぶん今まで一度も岡上どんど焼きには行ったことないけど。焼け跡は見てたけど。
 うちのお飾りはよろしく焼かれただろうか。

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