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2011年11月29日火曜日

私の死亡広告

『私の死亡広告』だったか、各界の著名人が自らの死亡広告を考えて寄稿した本があった。
 それを読んでいて、自分も考えてみようかと思った。
 こんな風に書かれたらいいなあ。

 某夜気さん(ナナシ・カオナシ=悶問世話人)さんがXX日未明までにアルコール中毒と圧迫性ショックの合併症で死亡していたことがわかった。YY歳だった。知人が呑むために自宅を尋ねた所、某夜気さんが本棚の下、全身酒まみれになって倒れているのを発見、搬送先の病院で死亡が確認された。警察は日頃の某夜気さんの悪癖と現場の状況から事件性はないと見ている。某夜気さんは静岡県出身、2003年に大学に進学するため上京し、留年と中退を経験する。2008年に結婚、2010年に大学を卒業。四国遍路を経て、大阪に移住し、にわか関西人としてぷちディアスポラ気分になる一方、塊より始める怪解なる会『悶問』を立ち上げる。故人の遺志に基づき、来るZZ日には不祝儀ぽっきりオールナイト飲み放題通夜、翌昼からはロケンロールな踊り念仏どんちゃん騒ぎの野辺送りを予定、戒名は「寓多良庵(ぐうたらあん)居士」となる。

2011年10月7日金曜日

スティーブ・ジョブズ氏死す。

 スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。Apple社の創業者であり、IT産業の巨星だった。享年56歳だった。  今の御時世ではテレビを見て、パソコンを眺める生活を送っていればMacでつくられたものを目にしない日は一日としてないだろうし、街中に外出をしたならiPodで音楽を聞く人や iPhoneを操作する人、iPadを叩いている人はありふれた日常の風景として珍しくも何とも無い。  ところ構わずにインターネットに接続し、自分の世界に浸っている人たちをどう考えるかは別の問題としても、そうした現代日本の風景はジョブズ氏の不在からは存在しなかったものだ。  通夜なのだし、今は現代を築いた一人の巨星の死から彼の生きた時代について何かを思いたい。

2011年4月10日日曜日

選挙

 ウルルン滞在記が放送していた。
下らなくて、安心して見られる。下る番組見てばかりだと腹下しそうな今日日だから、こういう下らなさは全然悪くない。
不愉快になるバラエティは多いが、テレビはバラエティだけやっていてほしい。不愉快なものは見なければいい。見なくて済む環境で、見なくて済むのなら、何も良くも悪くもならない。

 統一地方選挙の開票結果が出ている。
 東京では石原さんが当選した。ぶっちぎりだ。
大阪の議会ではどうも現職が負け気味だ。顔が変わるのは何か変わる象徴だ。何か不祥事があれば首がすげ変わるのはそのためだ。
変わらない方が良いこともある。変わることが良いこともある。顔ぶれが変わっても、変わらなくても、どっちにしたって状況は時々刻々と変わる。
情況と状況とをどう対応させていくのかはたぶん心の持ちよう。身のふりよう。

2011年4月9日土曜日

大阪では選挙運動をしていた

 記事だけを見て、悪く言えば渡辺さんや東国原さんや小池さんは大衆迎合だと思う。
 思うけど、そろそろ石原さんには引退していただきたい。
 退き際を間違えないことがかっこいい男のあり方だと思う。
 ダンディズムがあるのなら、その辺りはご自身で判断されることかもしれない。
 しかし、今、78歳で、仮にまた都知事になったら次は何歳なんだろう。任期途中でお亡くなりになる可能性は低くない。政治家として死にたいのだろうか。人のことを心配し過ぎだろうか。
 まだ都民八年目位だけど、文学者としてではなく、都知事としての石原さんの何がいいのか、都民は何をそんなに石原さんを支持するのかさっぱり理解出来ない。
 それならまだ聞く耳持っていそうな他の候補に入れようと思うもんだ。われわれがわれわれの代表に求めるものはなんだろうか。それはたぶん清廉潔白なだけの聖人君子風味ではなく、我を張るだけの意固地でもない。われわれを代弁してくれそうな人を普通は代表だというんだと思う。
 今年は東京都の期日前投票が前回の1.6倍になったのだそうな。
 みんな東京から逃げ出しているんだろうか。某夜気も大阪に来る前に投票してきましたよ。
 もしかしたら某夜気にとっては最後の都知事選になるかもわかりません。

 石原さんは中国や北朝鮮に対抗して日本も核軍備するべきだとおっしゃったみたいです。よくわからない議論です。わからん奴は馬鹿だと言われるかもしれませんけど、バカにもわかるように言ってもらいたいです。大衆迎合、衆愚政治と馬鹿にする前に、バカにわかるように言うことは大事だと思います。それでもわからないなら仕方がないですけど、そういうこと、やっているんでしょうか。ワタスには理解できません。
 ラオスやタイあたりと戦争をするなら核軍備はわかりますけど、中国と北朝鮮相手にわざわざ核軍備する必要はなくないですか?中国にも北朝鮮にも原発があるじゃないですか。そこにミサイル叩き込めばいいじゃないですか。
 核軍備論者が敵国の原発を確実に叩き潰せるミサイルをつくろうっていうのなら、わかります。町一個吹っ飛ばすよりも、その地域全体を住めなくしちゃう方が痛いです。相手の痛いことをするのが作戦です。
 某夜気がテロリストならテレビ見て原発狙おうって思うと思います。某夜気が将軍様なら、もし日本と戦争することが不可避になるなら原発にテポドン撃とうと思うと思います。地震国日本の原発が震度10の地震に耐えられ、20Mの津波に襲われても大丈夫だったとしても、ミサイルが叩き込まれることはきっと想定外だと思うのです。
 北朝鮮がミサイルを撃とうとしていた時、迎撃部隊が出張って東京の防衛についたと思いますが、原発あたりには配備されたんでしょうか。
 ピンポイント爆撃、精密攻撃ってクリーンな戦争には欠かせない言葉です。それは専守防衛にも必要な技術です。たぶん。北朝鮮がミサイルを撃ったらすぐに原発に日本のミサイルが飛んでいくんだぞーっていうのは核抑止力になるんじゃないでしょうか。実験しないと使えるのか使えないのかわからない、ただ持っているだけではなんの脅しにもならない核兵器よりかはよほど役に立ちそうです。素人考えだけど。
 そして、それはたぶん精密誘導技術は宇宙開発には必要な技術でしょう。宇宙立国日本の礎にもなります。
 だから、核武装しようっていう人よりも、ミサイルをつくろうって言う人の方がこわいなーって思うけど、賛成できると思うのです。

 核ミサイルが雨あられと降り注ぎ、日本全土が焦土と化しても原発だけは無事に稼動しているくらいまでに原発を要塞化できるのなら良いんだと思いますが、それはきっと無理な相談ですよね。
 安全な運営に務めることは、どんくらい妥当な相談なのか、ということも含めて今後、議論になると思います。
 その時、やっぱり、代表の人には、全部は無理だけど、ちょっとくらいは自分の意見を代弁してくれそうな人を選ぶのです。
 その時には、数年後には死んでもおかしくない人よりも、すくなくともあと二十年くらいは生きそうな人を選びたいのです。
 本当の意味で、責任なんてとれるわけないのですから。死人にはクチがないのです。
 せめて、生きて目で二十年後を見られそうな人を代表者に選びましょうと思うのです。


都知事候補 原発へのスタンス
毎日新聞
 福島第1原発事故が、都民の生活にも影響を及ぼす中で行われている東京都知事選は、10日の投開票日に向けた各陣営の懸命の訴えが続いている。計画停電の実施や水道水の摂取制限などは生活に密接にかかわるだけに、大電力消費地・東京のトップを目指す主要候補の原発へのスタンスも注目される。【東京都知事選取材班】

 主要候補のうちいずれも新人のワタミ創業者の渡辺美樹氏(51)、前宮崎県知事の東国原英夫氏(53)、共産党前参院議員の小池晃氏(50)=共産推薦=は、原発の見直しや自然エネルギーへの転換を訴える。

 「原発には反対だが、争点にはならない」と話していた渡辺氏。関心の高まりを感じ、終盤戦から「原発推進には違和感を感じる」と自然エネルギーへの転換を訴えるようになった。「今街を見て少々暗くてもそんなに困らない。子どもたちに負担をかけてまで便利で豊かな生活をする必要があるのか」と問いかけている。

 東国原氏は選挙ビラのマニフェストの冒頭に「原子力からグリーンエネルギーへ」と、原発の縮小・見直しを掲げている。五輪誘致のための都の基金約4000億円を太陽光発電の普及などに充てるという。「立ち止まって考えるべきだ。自然エネルギーにシフトする機会だ」と訴えている。

 小池氏は、「原発の安全神話と決別して、安全最優先で見直そう」と、新たな原発建設計画の撤回などを訴える。「都は東京電力の大株主。都のエネルギー政策にかかわる問題」と重視。さらに「都民の最大の関心事に触れないのは、極めて無責任だ」と徹底した論争を望んでいる。

 現職の石原慎太郎氏(78)のスタンスは異なる。1日の記者会見で、「(今回の事故で)原子力が全面否定されることは、国にとって好ましくない」と語り、資源の乏しい日本には必要との立場を貫く。「フランスのように電力をほとんど原子炉に頼って見事に運営している国もある。技術が劣っているなら取り戻し、安全な運営に努めたらよろしい」とも話した。

2010年2月13日土曜日

自分の語法・語り口・論法・見方・視点etcについて

 自分の語法・語り口・論法・見方・視点etcについてどれだけのことを語りえるのだろうか。人間と言うのは物語を生きているということができるだろうけど、その物語は自ずから「そのように」語られ、「そのように」見られるものである。「そのように」というのは自分の生きる物語そのものである。「そのように」生きてしまったものはいまさら仕方がないんじゃないだろうか。これからもやはり「そのように」生きていくしかないのではないだろうか。
 たとえば、関係をつくっていくというのは、物語に関係するものを編みこんでいく、編みこまれている作業である。その関係の一つ一つには始まりと終わりがあるわけだけど、未だ物語の途上である現時点では終わりは知らない。知りようがない。だから問題にはならない。なるとしたら始まりのお話であるわけだけど、二人の当事者がそれぞれに矛盾しあう初対面の記憶を持ちながら関係して行くことがあり得る。というか、ある。たとえば到津ららさんと某夜気は初対面と記憶している時点も場面も全然違っている。そのことを掘り返してみることで物語を見直してく助けにならないか、というようなことを次回悶問では書こうと思っている。たぶん、変更するけど。今まで最初の構想通りになったことがない。
 最近思うのは三点。
 第一は知らぬ存ぜぬものは山ほどあってそういう無数の関係から自発的なのか非自発的なのかはともかく選択して情況を作っていたりもするのだろうけど、そういう中でどっか遠くで起こった赤の他人の事件をネタにみんなで盛り上がったりするのは、加害者や被害者に対して果たして不誠実であるのだろうか。不誠実から逃れるにはどうすれば良いのだろう。知ることによって、と訴える連中は多い。某夜気もそういう手段を使ったこともある。でも、どれくらい知ったら知ったことになるのだろう。そんな水準どっかに存在するのだろうか。真に赤の他人が赤の他人に対して誠実な態度とは語らないこと、知らないこと、無関心であることしかないんじゃないだろうか。げ。
 第二は何か悪いことをした人間がいて誰が閻魔大王になれるのだろうか。宮城の方で出会い系業者が捕まったけど、人は言うだろうか。そんな仕事をしていて恥ずかしくないのか、と。誰がそんなことを他人に対して臆面もなく言えるというのだろう。たとえば某夜気が捕まったとして誰が俺を裁くと言うのだろう。恥も尊厳も忘れていないとやれない極致が裁判なんじゃないだろうか。多かれ少なかれそういうものは到る処にあるんじゃないか。恥知らずなところはやっぱり必要なことだと思う。げげ。
 第三は物語は書かれ、読まれ、語られ、聴かれ、表現され、観られるわけだけど、それをどのように語るかと言う枠組みと見る枠組みは人によって違う。自分だけの物語は意味を為さないので、言葉なり何なり既存の方法論を借用しなければならない。その習得はその環境情況によって全然異なる。そういう中で語法・語り口・論法・見方・視点を攻撃することはそんなに有効なことなんだろうか。確かに運動家はそういう手法をずっと使ってきたけど、有効だけど、でも、いいかげん飽き飽きしていないだろうか。その方法そのものに対しての攻撃はそのまま使ったものにも適用されるんじゃないか。お前が悪い、お前が悪い、お前が悪いと言い続けて折れなかった方が勝ちと言うのはどうなんだろう。お前は良い、素敵だ、美しいというのならいいのかもしれないけど。

2010年1月27日水曜日

婚活の日

 けふは日本で初めて新聞に結婚相手募集の記事が載った日なのだそうだ。
 それにしても、某夜気の感覚としては恥でしかないような内容なんだな。曰く当方女房と離縁したため、貧富を論ぜず、17歳〜25歳の嫁さんを求む、とのこと。
 成果の程も知らないし、そもそも広告主がいかなる人物なのかも知らないが、こんなもん出した日には末代までの笑いものになるんじゃないか。家族の抵抗はさぞ激しかったのだろうと推測してしまう。
 ただ、広告主が笑いものにならず、むしろ家族も勧めてのかかる新聞広告であるとすれば、やっぱり、某夜気には理解しかねる世界があるように思える。かつ広告から縁結ばれたとしたら…ディープな世界がそこにはあって、その後裔にやっぱり婚活があり、多少はそのお零れも与かって今日の某夜気があるとすれば、風吹けば桶屋
がもうかるではないけれど、なんだかなあ〜と思えてくる。

2010年1月11日月曜日

成人式報道

 かつては小正月が成人の日だったわけだけど、ハッピーマンデーが施行されて以来、絶対に十五日になることのなくなった成人の日に替わり、今年は今日が成人の日として三連休となり、昨日今日と多くの地域で成人式が執り行われていたらしい。「荒れる成人式」というのは記憶にある限りもう十年も前からジョウトウとしてテレ
ミでは言われ、叫ばれ、喧伝されてきたことではあるが、やはり、今年も逮捕者が出た旨の報道が伝えられている。
 もう終わってしまったお父さんのためのワイドショー講座を除いて、ワイドショーは一人だと絶対に見ないけど、今晩辺りホシノ監督あたりが満面に笑みたたえて、テレミを見ているお父さんたちのうっぷんを晴らすべく、期待されてるステロタイプを再生産するに違いない。某夜気がヤマセマミのにわかファンクラブであるように
、ホシノ監督は、なんといってもお父さんたちにとっては、きっと英雄だから。
 大人気がないと言うけれども、大人の関係というのは出会い系用語では、いつでもヤリ捨てできる極めて都合の良い関係ということを指し、大人だろ、というのは俺様の言うことが聞けないのか、このヤローというのとほぼ同義である。たぶん。この限りではもう生善説ってあるんだなあと思えてくる。
 今年は二十歳というのは平成生まれということである。日本で何箇所成人式をやり、何人がそこに出たのかは知らないけど、荒れないわけがないじゃないか。そんだけたくさんいたら何十人か何百人かそんくらいは調子こくに決まっているのである。だってお祭りだもん。狭い狭いと言っても十分広いこの日本で、何百万人もいる新
成人で、この誰も調子こかなかったら、北朝鮮のマスゲームも真っ青だし、ファシズムのイメージそのまんま!
 某夜気にとって絶望的な気分にさせられ続けたのは荒れる成人式ではなくて、そんなことにいちいち深刻に目くじら立てなければならないかのように見せつけられる報道そのものだったし、同じワイドショー見てたら景気だの雇用だののニュースは途絶えることはたぶんないと思うけど、その矢面にある連中への敵視であり、また、
青少年やら若者やらをいかに消費していくかにかける情熱であり、こういうものがこれからも飽きもせずに繰り返されることそのことである。

左義長

 今日は小正月ということ(ほんと?もうちょっと先でない?)で各地で左義長が執り行われている。左義長のまたの名をどんど焼きもしくはさいと焼きという。もっといろいろ呼び名はあるのかもしれない。たぶん正式名称はない。
 静岡県東部の某夜気の地元ではどんど焼きと言っていたが、同じものを静岡市の方ではさいと焼きというらしい。さいと焼きのさいとはサイコロのさいだと聞いたことがあるが本当かどうかは知らない。ただ、どうもわからないのは、どんど焼きと言っていたのは二本松の浅間神社界隈だけで、富岡とか深良とか麦塚あたりにそうい
う呼び方があるのかどうかというとこれはもうわからない。同じ市内でもその辺りは違う町のように思っていたし。その辺りの人間とはまるで交流がなかったから…あ、でもバアさんは麦塚生まれだ。
 ただ、考えてみると、どんど焼きというのが某夜気の地元ではこんなに早い時期にやっていたかと考えてみると、どうもそんなわけではないように思える。というのは小学校では書き初めが冬休みの宿題になっており、学校がはじまって先生に出すわけだけど、たしかにそれを教室の後ろの壁に張り付けていたような気がする。そう
するとせっかく張り付けたわけだし、感覚的には結構な期間はりだしていたと思うけど、それをはがして持って帰ってどんど焼きに放り込むわけで学校が始まってすぐのこの時期にやるというのはいささかせわしないような気がする。だからたぶん一週間くらい後に地元ではどんど焼きをやるんだろう。足し算的には。
 まあ、時期はいくらも変わるもので、某夜気の地元はお盆は七月半ばだし、お社のない神社である吉田神社のお祭りがある。吉田神社はよくわからない。京都の吉田神社は学問の神様であるのだけど、裾野の吉田神社は何の神様なんだろうか。お社も鳥居もないけどお札はある。実家の台所に貼ってあるけど、なんだかよくわからん
なあ。
 いつか(来週行くけど…げっそり)相方の実家に行った時書き初めなのか半紙に墨で字したためたものが貼ってあったけど、書き初め以外になんか書くほど、ここは熱心なのかと思ったし、なるほど字はうまいけれど、どんど焼きがある小学生時代を過ごした某夜気にとってはえらいことだと思えたけど、もしかしたら、そうではなくて、
ただ単にどんど焼きがないからもさないだけだったのではなかったかとも考えられる。いや、マジでうまいけど。妹さんの字だけど。
 どんど焼きがないということは、そういうところで育つと、忌まわしい宿題の産物である書き初めを燃やす快感や、長い竹にさしてアルミはくでくるみ火にかかげて焼いたこぶし大の団子にきなこをつけて食う味も知らない、ということになる。
 今、二本松の浅間神社でどんど焼きをやっているのかどうかは知らないけど、十年くらいまえから岡上でどんど焼きをやるということはそういうことなんだなあ、と思った。たぶん今まで一度も岡上どんど焼きには行ったことないけど。焼け跡は見てたけど。
 うちのお飾りはよろしく焼かれただろうか。

2010年1月7日木曜日

夕霧忌

 知ってる人は知ってるんだろうけど、夕霧忌は俳句の季語です。季節は春らしいです。某夜気は知らなかったけど。
 夕霧というのは女の人の名前です。しかも、源氏物語に出てくる女の人の名前ではなくて、大阪だか今日だかの遊郭の20かそこらで死んだ遊女さんだったらしいです。
 よっぽど綺麗な人だったらしく、なんか脚本化されて人形劇になったりしたとか。
 それで季語になるなんてな〜。
 でも、たぶん、夕霧忌の一月七日というのは旧暦になるんじゃないかな?そうすると一月か二月か先の話だなあ。
 古人は教養として短歌をたしなみ、また、普段の事柄を俳句に詠みこんだけど、某夜気もそれにならって今朝のことを三首作ってみよう。
 きれ字はよくわからないので使わないけど。


 おこたにて
 浅き夢見し
 夕霧忌

 白い息
 映える晴れ空
 夕霧忌

 夕霧忌
 下痢腹抱え
 急ぎ足

 われながらお粗末というか、お下劣だなあ。

 女殺油地獄見たい。

2010年1月6日水曜日

良寛忌

 今日は良寛がなくなった日らしい。
 散る桜残る桜も散る桜、とか、良寛に辞世あるかと人問わばナムアミダブツナムアミダブツナムアミダブツというと答へよ、とかいう句が有名である。むしらそれしか知らないけど。
 お酒をよくたしなむ人であったらしい。それに尼さんに恋していたらしい。新潟(シンランさんが京から放り出されて本格的に活動した土地であり、結婚して子供つくったところであり、浄土真宗が多い土地)の人だし、俺が死ぬときにはナムアミダブツと言うと言っとけなんて言うくらいだからてっきり良寛も浄土真宗なのかと思
っていたら曹頭宗なのね。念仏じゃなくて座禅か〜。じゃあナムアミダブツなんて言わないんじゃないかな?
 ずいぶん前、良寛の弟の句を収めた伝記がブックオフで百円で出てたけど、買っておけば良かったかなあ。

2010年1月1日金曜日

 魚に旨と書いて鮨となる。読みはスシである。たぶん割合新しい漢字なのだろうけど、我々の寿司に対する感情を見事に当てているように思える。寿司はうまいし、まことに目出度いものである。
 言に旨と書いて詣となる。詣でると書いてもうでると読む。意味はどっか神社に行って拝んでくる、ということか。
 言うという字はこととも読む。小言とか言葉とかいうけれども、日本には言霊信仰がある。サザンオールスターズだって愛の言霊と歌っているけど、歌詞は割合聞き取りやすいと思う。
 ことほぐ、と読んで寿ぐとか言祝ぐと書くが、ことほぐのは偉い人とか専門的な技能集団の仕事だった。玉音放送なんてのはそういう意味ではズバ抜けてえらい録音だったのである。
 〜長と肩書きのつく人の誰も聞かない〜辞というのもことほぎであり、某夜気がとにかく苦手なスピーチというのもことほぎである…場合がある。
 そうすると旨いというのは技能的な産物に対する言葉なんじゃないか。詣でるのも技能である。よくわからないけど、浮かれた気持ちで初詣に行くというのはそれ事態が作法的な因習のようなものである。そういうものでも楽しんでいくのがいいんだろうなあ。

2009年12月31日木曜日

野球拳

 今くらいは紅白がやってるのだろうけど、たぶん、十年以上前、クリキントンが大統領だった時、民放で野球拳がやっていて、円周率(こう書くとイヤらしいでしょ)がポロポロしていた。某夜気はそれを年越しソバを食べながら見ていたような記憶がある。誰か男が見た目パンツ一丁になっていてもその下に何枚も着込んでいてジ
ャンケンに負ける度に脱いで脱いで、最後はしぶい顔になるのが印象に残っている。
 91年に宮沢りえがサンタフェ(これとイエローズというのがたぶん写真集としてある。曰く、イエローズを見るためにマックを買ったという人もいたらしい)を出してヘアヌード解禁を決定的にするわけだけど(ヘア解禁という言葉は小学校低学年だった某夜気も覚えてる。流行らなかった?)、野球拳というのはさすがにそこまで
は出してなかったけど(たぶん)、でも、円周率はやたらとポロンポロンしていたなあ。あれ、良かったんだろうか。
 やっぱり90年くらいに太陽がヌード特集をしているのだけど(これは某夜気ライブラリにあります)、やっぱり、時代はあるんだと思う。
 ハンス・ペーター・ドゥル(だっけ?)の「恥じらいと裸体の文化」(だよな…)によれば、文化が裸体をどう扱っているかということはその文化の本質的なとこにかかってくる。ヌーディストは、裸の修道女などと形容されるが、さて、野球拳にはどんな文化があり、また、今は野球拳のようなものは見られなくなったテレミの文
化はいかなるものかというのはいくらでも時間があればテーマにはなるかもしれない。

2009年12月27日日曜日

ジャルゴン

 タイトル、怪獣の名前みたいでしょ?
 そうです。ジャルゴンとは怪獣なのです。
 ゴジラが東京から大阪、と順ぐりに日本列島主要都市で暴れまわったように、ジャルゴンは議論の場においてしばしば暴れまわるものなのです。
 時には南の島か北の氷の中で密かに暮らしているジャルゴンも一度都会に出てきたら大暴れすることも希ではないのです。
 なぜならジャルゴンは他の非専門用語との軋轢によって顕在するものなのですから。
 ゴジラ一匹でも大変なのにアンギラスが出てきて、キングコングまで繰り出してきたらもうどうにもならないのです。なんでか知らないけど、怪獣同士は相争うのです。
 防衛隊でもGフォースでも国連軍でも自衛隊でも戦略自衛隊でも何でもいいからジャルゴン退治に乗り出すところがあったとします。
 さて、怪獣映画を見てみましょうか。怪獣退治に乗り出した軍が怪獣退治に成功した事例ってそんなに多くないのではないでしょうか。むしろ怪獣を迎撃している軍隊の流れ弾その他によって被害が拡大していくという場面は怪獣を退治した場面よりも多いのではないでしょうか。
 仮にジャルゴン退治に誰かが乗り出したとしても、同じことが起こることも多分ありますよね。誰がゴモラとレッドキングの暴れるところに立ち入れるというのでしょうか。兵隊さん以外の誰が砲火行き交う戦場をウロチョロしたいというのでしょうか。鬼退治に行ったはずの桃太郎が鬼になって帰ってくるというのは最悪の事態な
のではないでしょうか。
 でも、ジャルゴンの立場からすると楽しいんですよね。存分に力を振るうことはとても楽しいことです。そして、ジャルゴンには誰もがいつでもどこでもなれるわけです。きっとジャルゴンの破壊力をうまく使えたら、あるいは世の中もう少しうまくいくかもしれないのですが、それはジャルゴンの性質的に難しいような気がするの
です。

2009年12月8日火曜日

1941年

のこの日から1945年の八月まで日本はアメリカと戦争していたわけで、満州あたりから数えると15年くらい戦争をやっていたわけで、よくもまあ、そんな国力が当時の日本にはあったもんだと思う。
 というよりかはやっぱり完全な侵略戦争とか、完全な自守自衛戦争とか、そう簡単には言いきらないだろうけど、あっちで火事を起こしたらこっちでも火事を起こして挙げ句の果てには丸焼けになってしまったというのは歴史の必然があったようにも思える。歴史の必然とかいう言葉は嫌いだけど。
 たぶん戦争というのは既に遠い昔、今は昔、竹取りの翁というものありける頃のお話になってきたので、いよいよ誰も戦争を主体として体験したこととして語ることはなくなり、客観として物語を読むという時代がくるし、もう、きつつある。
 だから、そのうち、真珠湾に臨む山本長官の胸中や長篠の戦いに挑む武田方諸将の如くと語られるかもしれない。山本五十六は戦中に軍神になったし、武田方諸将はたぶん愚痴る前に悉く討ち死にしただろうから死人に口なし。まあ、言いたい放題なんだなあ。
 歴史の必然というのは、たぶん嘘っぱちなんだろうけど、嘘っぱち以外に歴史を語ることはできないんだなあ。体験は語れるだろうけど。
 それにしても、68年前、今の日本がこうなっているなんて誰も考えもしなかっただろうなあ。こうはなりたくないっていうビジョンのいくらかはもしかしたら体現しているのかもしれない。

2009年12月6日日曜日

電話で水俣話

 先週くらいになると思うけど、たぶん半年くらいご無沙汰しているS木旦那から電話があった。
 ということは半年くらい某夜気はミナマタのミの字も言わなかったのかもしれない。
 最初、誰の声かと思いながら話を合わせていた。T司くんにしたら声が太いし、T波さんにしては声に迫力がある。H野さんの声かと思ったら天の魚とか言いはじめる。天の魚の話をH野さんがするわけがない。電話の声では人の区別がついていないのかも知らない。
 S木旦那の話を要約すると、要するに天の魚の話で、今度、四国に巡礼でなくて公演に行くらしい。よく知らないけど、天の魚はえらいことになっているんだなあ。お芝居っのはえらいものなんだなあ。四国はちと遠いかなあ。で、来年二月、「水俣なんたらかんたらネットワーク」がやる写真展で人が必要とのこと。
 それにしてもT嶋さんのオバ様かあ…懐かしい名前だなあ。ご馳走になったカレーはおいしかったし、頭のいい人だし、熱い人だけど、う〜ん…あの人とやった議論で某夜気が述べたことはほとんどそのまんま某夜気卒論の結論になったけど、それは要するに何故か割と評判の良かった部分なのだけど��、そういう意味では恩人なの
かも知れないけど…嫌いじゃないけど、う〜ん。
 T嶋さんとは03年夏に水俣の相思社(この字で良かったかなあ)に何晩か酒呑んだ仲で、先輩にあたるはず。某夜気はT波さんとはついに一緒には水俣には行っていないということになる。その年にはS木旦那は水俣には行かず、M本さんがいた。M本さんがS木旦那と仲悪いということは方々から聞いて知っていたが、S木旦那
と実際に会ったのは05年の秋から06年の春くらいのことである。
 今年の五月に十七連勤とか言って泣きそうになったのもS首さんの鶴の一声に端を発するわけだけど、今度はそうはならないようにしよう。役立たず、というのは変わらないにせよ。

2009年12月5日土曜日

えなりくん

 えなりくんが彼女と別れたらしい。
 景気問題やら普天間問題やらと同列に扱われているのだから天下国家の重大な関心事であるらしい。今も昔も男女のすったもんだは人の心をひくものだ。
 さて、えなりくんの彼女さんは若くて美しくて才能あるフルート奏者であるらしい。
 でも、ニュースではそのフルート奏者がえなりくんと破局した、とは書かれていなかった。えなりくんがフルート奏者と破局した、という内容になっていた。やっぱり芸能キャリアでは若くしてえなりくんは圧倒的なものがあるからさすがにネームバリューが違うのだろう。
 若くて美しくて才能のあるフルート奏者にとって、えなりくんしか知らなかった某夜気のような連中からえなりくんの元・彼女としてしか認識されないという事態は、たぶん、えなりくんと別れたことそれ事態よりも重大なダメージになるのかもしれない。ならないかもしれない。

国立

 ここ一年か二年くらい行ってないような気がするけど、主に国立にあるライブハウスに学生時代足しげく(五時間くらい歩いたりして)通い、ご縁のなせる裏業でほとんどタダでそういう文化にひたっていた時期があった。
 寮生活一年目Iさんと二年目Kさんと三年目Tさんの同居人がバンドをやっていて、IさんやKさんにタダ券もらって主に下北のライブハウスにもよく行ったけど、中央線と小田急線の違いではなくて世代とジャンルの違いなのだろうけど、えらい違うもんだなあと思った。
 ああ、Iさんとは今、某夜気と同じ生業だということをこないだ知った。まだバンドもやっているらしい。Kさんが今、何をやっているのか知らない。今もIさんやYさんとバンドやっているのか聞き損ねた。Tさんのバンドは学内でやっているのは何度か見たけど、ライブハウスに行ってみるということはなかった。どうしている
のだらうか。
 さて、知り合い…というか、非常にお世話になった人達のバンドが今度の26日に国立でやるというメールが妹からきた。30年だか40年だか知らないけど、ベースが変わったくらいであとは同じ面子で同じ曲をやるというのはやはりえらいことだと思う。さういうわけで国立には親父と妹が行くらしい。
 某夜気が上京してから久しく、実家では誰かしら欠けていて、一家が集まることはあまりなく、水俣展か国立で一家揃うというようなことになっていた。というか、妹と顔合わせるなんてレアもレアで下手すると年単位でツラ見なかったり。まあ。見たいとは思っていなかったけど。
 そのうち行こうね〜って言いはじめてから一年か二年かくらいたっちゃったような気がするけど、まあ、そのうち行くべえか。

2009年11月24日火曜日

天丼ひとつ

 たぶん司馬遼太郎の街道が行くで見たか聞いたかしたことだと思うけど、こんな話があった。
 日本海海戦の際、連合艦隊はバルチック艦隊が二通りの進路をとることは予想できても、どちらをとるかまでは直前までわからず、最悪の場合には敵をおっかけていかないといけないということで、無補給で行けるよう甲板の上まで石炭を積んでいたとか。
 この石炭はイギリス産の高級品で、海軍は、結局、連合艦隊最後の艦隊決戦となる戦闘にむけて大奮発をした。
 さて、いざ、敵艦みゆとなったら甲板の上にまで積み上げられ、大砲の邪魔になった石炭を海に捨てないといけなくなった。
 日頃から一抱え天丼一つとその値段の高さを吹き込まれていた兵隊の中には、「天丼一つ、天丼一つ」と言いながら石炭を海に投げこむ者もいたという。
 どうも、「天丼一つ、天丼一つ」というのが強烈に印象に残っている。やはり食いものにからむと記憶の仕方が違うらしい。
 でも、もしかしたら上の話も記憶が違えているのかもしれない。

とろくさいにっき

 2009年7月30日から2009年11月24日まで http://torokusainikki.asablo.jp/blog (閉鎖済み)で本ブログと同名の徒録歳日記と題するブログを開設していたが、いかんせん使いにくいので、こちらに引越すことにした。
 もともとは構想中の本家サイト『寓多良庵』の準備としてつくったものだったが、本家の方がなかなかつくれないので、とりあえずブログのみ更新して行く。

 ブログと言うのは、まことに奇妙な形態の“メディア”である。こういうものが20世紀最後半から発生して今世紀初頭の日本国で隆盛を極めているというのは、一種、この国の国民性というものが垣間見えるような気もする。
 そこに我々も加わろうとする、その心持はそんなに気負ったものではなく、まあ、のんびりとやっていこう。なにせ、とろくさい日記なのだから。