2010年8月29日日曜日

「サラサーテの盤」の初日を見てきた

 精華小講堂くじら企画大竹野正典追悼公演第一夜2010年8月「サラサーテの盤」の初日を見てきた。
以下、感想。

 あれは役者さんの地なのであろうか、それとも脚本・演出によるものなのであろうか、あるいは演劇における語り口そのものなのであるのか。そこのところがわかるほど、筆者は演劇と言うのを見ていない。小学校の時に見たお芝居と、中学の文化祭での選択国語の連中の寸劇と、高校での演劇部連中の発表と、一人芝居『天の魚』と…それくらいであろうか。世の中には大雑把に分けて素人向けのものと、玄人向けのものと、白黒問わないものの三種類の作品があるが、筆者の素人目には『サラサーテの盤』は、なんだかわけのわからないわかりやすさがあったように思う。誰か玄人目にはどう映るかは知らない。
 冒頭と終盤で、屋根の上に小石が落ちてカラカラカラカラカラカラ…と転がるかのような音がする。しかし、地面に落ちたらしい音はしない。あの石はどこから落ちて、どこへ行くのだろう。そう主人公のウチダはつぶやく。ストーリーはこのウチダの周りを夜な夜な入れ替わり立ち替わる人物との噛み合っているともいえない会話で進行する。それらの人物はいずれもウチダとは何かしら関わりのある人物たちである。おそらく全員が故人であり、彼ら彼女らもまたどこから来て、どこへ行ったのかわからない。
 1時間50分と言う上演時間の割には、それだけの長さを感じさせない。リズミカルなテンポでどんどんどんどん進む会話のせいなのかもしれない。心地よくはあるが、眠気は誘わず。現れては、消えていく、一つ一つの小さな場面の切り替えのためなのか、もやもやとして、つかみようのない感覚にされてしまい、観終わってすぐには感想はまとまらず、時間の割には短かった、劇中で出てくるビールがおいしそう、といったものしかひねり出せなかった。そうして、後からもわもわと現れては消えていく感想の断章が出てくるのである。これはまんまと作り手にやられてしまったのかもしれない。

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