2009年11月30日月曜日

内田百閒『ノラや』(筑摩書房、2003)

 内田百閒の「閒」の字を、久しく筆者は「聞」と思っていた。そうすると「うちだひゃっぶん」とでも読んでいそうなものだったが、まさしく、その通り、「うちだひゃくぶん」と読んでいました。だって最初に内田百閒の名前を読んだ時、ルビがふってなかったんだもの。
 これまで内田百閒の書いたものは読んだことがなかったから相方の本棚にあった『ノラや』を出してきて読んだ。
 まあ、中身は内田百閒が猫について書いた随筆を集めたもので、そのほとんどを「ノラと「クル」という二匹の猫についての記述が占めている。それも、「ノラ」がいた頃の幸福な時間についてではなく「ノラ」があるときどことなく行ってしまってそれから帰ってこなくなってからの、それからの近隣・新聞・編集者などを総動員した捜索劇と喪失感について、あるいは「ノラ」と入れ違いで住みついた「クル」の死に際についての記述が圧倒的に多い。
 著者自身が書いている通り、構成など他人任せで、後から自分で読むことも心苦しい心情が表れているのか、同じ文章が軟化にもわたってリフレインしている。
 戦後の、高度経済成長前の東京のまだ牧歌的な風景の中に、今で言うペットロス症候群があったということの記録としてもあるのかもしれない。内田百閒の煩悩ぶりと無能ぶりから、おかしさと悲惨さがこみあげてくれる。

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