2009年12月6日日曜日

電話で水俣話

 先週くらいになると思うけど、たぶん半年くらいご無沙汰しているS木旦那から電話があった。
 ということは半年くらい某夜気はミナマタのミの字も言わなかったのかもしれない。
 最初、誰の声かと思いながら話を合わせていた。T司くんにしたら声が太いし、T波さんにしては声に迫力がある。H野さんの声かと思ったら天の魚とか言いはじめる。天の魚の話をH野さんがするわけがない。電話の声では人の区別がついていないのかも知らない。
 S木旦那の話を要約すると、要するに天の魚の話で、今度、四国に巡礼でなくて公演に行くらしい。よく知らないけど、天の魚はえらいことになっているんだなあ。お芝居っのはえらいものなんだなあ。四国はちと遠いかなあ。で、来年二月、「水俣なんたらかんたらネットワーク」がやる写真展で人が必要とのこと。
 それにしてもT嶋さんのオバ様かあ…懐かしい名前だなあ。ご馳走になったカレーはおいしかったし、頭のいい人だし、熱い人だけど、う〜ん…あの人とやった議論で某夜気が述べたことはほとんどそのまんま某夜気卒論の結論になったけど、それは要するに何故か割と評判の良かった部分なのだけど��、そういう意味では恩人なの
かも知れないけど…嫌いじゃないけど、う〜ん。
 T嶋さんとは03年夏に水俣の相思社(この字で良かったかなあ)に何晩か酒呑んだ仲で、先輩にあたるはず。某夜気はT波さんとはついに一緒には水俣には行っていないということになる。その年にはS木旦那は水俣には行かず、M本さんがいた。M本さんがS木旦那と仲悪いということは方々から聞いて知っていたが、S木旦那
と実際に会ったのは05年の秋から06年の春くらいのことである。
 今年の五月に十七連勤とか言って泣きそうになったのもS首さんの鶴の一声に端を発するわけだけど、今度はそうはならないようにしよう。役立たず、というのは変わらないにせよ。

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