2009年12月20日日曜日

三日酔いで思うこと

 昨日、一昨日とお酒を飲んだ。名目は今の時期、世間の居酒屋を賑わせている忘年会というものである。ただし、お店は使わず、拙宅にて宴会を催した。
 一昨日の酒は特に過ぎることなかったようで、特に翌日は残ることもなかったが、昨日の酒はいささか痛飲をしてしまった。
 そのお陰で今日は電車では吐気はするわ(吐かなかったけど)、仕事ではまるで頭が回らず、今も腹が痛いが、そういうのも食事をし、水を飲み、顔を洗うことで、段違いに改善していくのがわかった。
 その過程で思ったことについて三点のみ簡単に書き留ていきたい。
 第一に、どうも、某夜気はビールが弱いのではないかという疑惑がある。痛飲する時にはそういえばビールをいつも飲んでいる。焼酎ばかり飲んでいるせいか、ペースを誤認してしまうのかもしれない。水のように感じるが、ビールとて低くないアルコールの入っているレッキとした酒だということが頭から消えてしまうのかもしれ
ない。これからビールを飲む折りには特に気を付けていかないとならない。
 第二に、飲んでいる時には無論、意識はあるわけだけど、一部記憶がスッポリ抜けてしまっているということについて。どうも、飲んでいて、かつ、記憶が抜けているところでも、某夜気はその他の時と同じ自己を保持しているように振る舞っているようなのだ。酒乱の気を出して暴れる時もあれば、おとなしく飲んで終わるという
こともあるようだ。しかし、後から振り返ると、やはり、よくわからない。自分ではどうにも思い出せない。たとえば、お酒を飲み出すと、あらかじめ記憶を待避してもう一人の人格が現れるとしても、それがわからない。わからないというのは実に恐ろしいことだ。
 第三には三日酔いから回復する過程での気分についての発見である。三日酔いは当初は肩から背から腰から見えない圧力をかけ、つばを出させ、かつ、それを飲み込むことは容易ならず、胃袋の中身をぶちまけさせようとし、まぶたを固く閉ざさせ、油断していると眠りの帳にあっという間に引きずりこむ。しかし、これが晴れてい
く時には不思議なことに爽快としか言えないような解放感がある。文字通り身と気持ちが軽くなるような気がしてくるのである。こういう感覚は、以前から事ある度にあったのかもしれないが、今日ほどに強く意識したことはなかった。そして、今感じている軽さは飲む前のそれよりもたぶんもっとずっと軽い。こういうことも今日は
じめて意識したことかもしれない。
 いずれにせよ、酒のタガを外さないように対策をしないとならないわけで、そのことを考えると頭が痛くなる。
 一言でいえば飲まなければいいじゃないかということになるが、最終手段だなあ。

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